さわらびグループ

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インド福祉村

みんなの力で、インドに幸せを。

歩み

インド福祉村病院設立きっかけ

 インド福祉村病院設立のきっかけは、一九八七年、医療法人・社会福祉法人さわらび会山本孝之理事長に名古屋大学医学部の後輩である柴田昌雄先生(当時は名古屋大学医学部助教授)から「インドの地に病院を建てたいので協力頂きたい」と相談を持ちかけられたことでした。
柴田先生は北インドの仏教聖地巡礼から帰った知人から「現地では近代的医療施設を望む声が強かった」という話を聞いて心を動かされ、仏門の出身でもあることから仏教発祥の地に医療施設を建設する志を立てられたそうです。
山本孝之理事長は、そうした柴田先生の協力依頼を快く受けられ、直ちにこの病院建設に賛同する有志を募り、インド福祉村病院建設準備委員会を発足させました。
 当初の病院建設地は、インド北部のビハール州ブダガヤとしてスタートし、また、州都パトナとブダガヤにて現地の医療情報等の収集にも努めました。その際、国立病院の一つを見学する機会を得ましたが、そこで目にした院内の様子には愕然とさせられました。そこは病院とは名ばかりで、病室には古びたベッド、薄暗い診察室には机一つと薬瓶を二、三本置いた棚があるだけで、医療器材等は全く見当たりませんでした。
そればかりか院内の不衛生さには仰天させられました。このことは、私たちがインドでの医療支援が本当に必要不可欠なことだと強く感じさせる出来事でした。

困難を極める病院建設と一筋の光

 その後も、病院建設に向け積極的に活動してきましたが、特に病院建設用地で暗礁に乗り上げることが多く、長きに渡り困難を極めました。
 1994年10月の委員会で、「病院建設地はブダガヤに限る必要はないのでは」という意見が出されました。特にバハール氏からは、サールナートもしくはクシナガラに慈善事業として学校の建設を準備中であることが紹介され、さらにインド福祉村病院建設準備委員会が病院建設の地に学校等を建設する予定があるならば、今回の病院を私が予定している学校建設用地の隣に建てては如何かとの提案がなされました。
 このことによって閉塞状態に陥っていた土地問題に希望が出てきました。
 そこで、直ちに柴田昌雄先生がクシナガラ(ウッタルプラディッシュ洲カシヤ地区)の現地を視察するとともにカシヤ地区の医療事情を調査しました。調査の結果、カシヤ地区と呼ばれている病院建設予定地周辺の医療事情は、公立病院(40床)が1つあるものの、医療設備は貧弱で旧式のレントゲン撮影装置があるのみ。その他には、インド伝統医学(アーユルベーダ)の診療所が1つあるだけとのことで、病院建設に適しているとし、委員会の承認を受け候補地として決定しました。
 こうしてクシナガラに病院建設用地(約6,800㎡)が取得できたのは、1995年5月のことでした。

動き出した病院建設

 病院建設用地が確保されたことで計画は急速に動き始め、一九九六年九月には、インドにあるアーナンダミッション チャリタブルトラスト(ANANDA MISSION CHARITABLE TRUST)を、インドの現地法人として委員会で承認をすると共に、現地法人の構成メンバーとして、日本側から山本孝之理事長、柴田昌雄先生その他三名が加わることになりました。また、日本における組織の名称や規約の検討が行われ、現在のインド福祉村協会規約が成立しました。この時、飯島宗一会長(元名古屋大学学長)、山本孝之理事長、柴田昌雄常務理事等の役員が就任されました。
 そして、1996年10月の第15回さわらび文化祭は「みんなの力でインドに幸せを」というテーマで文化祭が開催され、在日インド人レネ・マルハンさんによるインドへの理解を求める講演や現地紹介のパネル展示、インド物産品のバザー等を実施するなど、インド福祉村病院建設の支援と協力の機運が日増しに高まってきました。

起工式と落成式


 こうして多くの皆様のあたたかなご支援、ご協力の下に1997年1月17日、インド福祉村病院(現地名アーナンダ病院)の起工式をクシナガラにて執り行うこととなりました。このために日本からツアーが組まれることとなり、井川襄理事長代理、柴田昌雄常務理事、高木元旲理事他14名が参加しました。式典には約70名の来賓が招待され、さらに現地住民の方々300名が見守る中で、ヒンズー教と仏教の形式で地鎮祭が厳かに挙行されました。とりわけ山本孝之理事長の式辞のなかで「私達日本人は、約1500年前に、仏教が日本に渡来してからずっとお釈迦様の教えに従って生きてきました。そこで、インドの人々の幸せと健康に奉仕するために、インドに福祉村を作ることを発願いたしました。」と「自分ひとりが幸せになろうとするのが最大の不幸であると考える我々は、みんなの力でみんなの幸せと健康を守ることをモットーにして、毎日働いています。」との言葉は参列者に深い感動を与えました。
 起工式後、直ちに地元に近いゴラクプール市の建設業者(社長 故K.K.Panday氏)により建設工事に着手しました。その基礎工事や基本的な建物構造については、元名古屋大学本部建築課長の佐藤治男氏による基本設計が下敷となりました。そのためインドでは類を見ないレベルの強靭な建設設計となりました。建設工事は故K.K.Panday氏の努力と現地コーディネーターの大竹紘一氏の監督が功を奏したおかげで、インドでは稀に見るスピードで行われました。また、建築資材、たとえばレンガ、セメントなども上質なものを捜して供給するのはかなり大変なことでしたが、関係者の努力が実り一年余後の1998年3月27日に落成式を挙行するに至りました。
 落成式当日は、主賓に地元知事のShri Shashi P.G氏を迎え、招待客200名、日本側からも高木氏、田中氏、中村氏らの理事や参列ツアーの方々を合わせ40名、建設作業員と地元の人々や子供たちを加えて1500名以上の人々が集まり盛大に挙行されました。
完成した病院はベッド六床の極めて小さな規模ですが、外壁は白色に塗装され、瀟洒とも言える感じのものとなりました。
 一方、スタッフについては地元ゴラクプール医科大学出身のグプタ医師を招聘することができました。この医師の選定についてはサンジャイ・ガンジー医科学研究所の内分泌内科主任ミッタール先生(当時デリーアポロ病院部長)にお願いし、優秀な医師を選んでいただきました。その他のスタッフは看護婦一名を含めて12名で発足することになりました。インドでは日本と違い、一人が一つの仕事を分担するのが原則ですので、最低これだけのスタッフが必要となりました。

診療開始

 建物は出来ましたが、電気も無く、医療機器も皆無の中で、地元の人々の強い要望に応えて同年(1998年)11月2日より診療を開始しました。それ以後、現在までに延べ約十六万六千人の患者を診察してきました。
中には遠く30㎞以上離れた処から来院する患者もあり、病院の信頼度は極めて高く、他の病院では治らずインド福祉村病院を頼って来院される患者さんも多く見えます。また、病院の位置は全くの農村部の畑と田圃の真中であり、病院を中心として半径5㎞以内には約十一万人の人々が居住していますが、その中に医療施設は全く無く、地元にとってインド福祉村病院は無くてはならない存在となっています。
 この地域はガンジス川の流域の平地であり、夏は45℃~50℃にまで気温は上昇します。また内陸部のため土壌的にも問題点があり、熱帯病、風土病も日常的に存在しており、熱帯病としてはマラリア、テング熱、アメーバ赤痢、カラーザールなど、風土病としてはヨード欠乏による甲状腺腫があります。また寄生虫症、慢性感染症(結核、ハンセン病、肝炎)の患者や貧血症、トリコモナス症を持った女性患者が毎日数多く来院してきます。こうした患者さんに対応するために、より高度な医療を身につけていただく目的もあり、2000年4月6日から2日間にわたり、グプタ医師に来豊していただき、福祉村病院にて超音波やレントゲンなどの医療機器、認知症と免疫機能などの研修の場を提供いたしました。

多くの善意で支えられているインド福祉村病院

 開院後の設備整備については、外務省の草の根援助の資金をいただき、最低限の医療機器をセットアップすることができました。
 その後も、患者輸送用の救急車はトヨタ財団より寄付していただいたり、1999年からに2003年のまでの5年間に渡り、国際ボランティア貯金より寄付金の配分を受け、結核予防や喘息、マラリア、トリコモナス症等の治療に取り組むことができました。2007年度からの3年間は、JICAより支援を受けて疾病予防、生活改善、保健衛生等の活動に取り組んでゆく予定です。
このようにインド福祉村病院は、多くの皆さんや各種団体からの寄付金や補助金、ボランティア活動などによって支えられています。